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大型軽巡洋艦「秋葉」艦橋の2 

さてさて、海上自衛官の切符を手に入れたところで相変わらず旧軍艦艇ばかり作ってますよの大和甲型です。
実はさっぱり進行していない「秋葉」ですが、脳内で纏めた艦橋の青写真でも掲げて茶を濁そうかと思います(ぉ
結局こうなた
あれこれ悩んで決定した艦橋内諸装置の配置案です。って、もう三週間も前になるのかあれw
左から羅針艦橋、下部探照所、上部探照所、測距所、檣楼司令所を示しており、図中の丸バツが測距儀、小四角形が探照灯、黒塗り部が航海装置、バツが双眼望遠鏡をそれぞれ意味しています。(尤も、下部探照所に関しては側面の探照灯がある部分に本来は魚雷指揮所があって、双眼鏡のあるところに探照灯がきます。思い切り間違えましたw)
中抜きの丸はマストの主柱及び支柱です。

さて、この配置図は改装後の長門型の資料並びに大正期の戦艦、巡洋艦の写真から読み取った情報をそれっぽく組み合わせてデッチアップした六割方空想の産物な訳ですが、どうでしょうね。そこそこ雰囲気は出てるんじゃないでしょうか。
資料の中でも特に参考になった写真を以下に紹介しておきます。括弧内は出典です。(転載はしない主義なので、各自で探して下さいまし。)

・大正11?14年撮影、横須賀港に停泊する「長門」前檣楼を錨鎖甲板から見上げた写真。
 (光人社「写真/日本の軍艦 第1巻 戦艦?」87ページ、海人社「世界の艦船1977年8月号増刊(No.244 増刊第4集) 写真集 日本軍艦史2.大正編」28ページ等)
・大正9年10月27日撮影、宿毛湾外にて公試運転中の「長門」。
 (上掲「世界の艦船増刊」表紙)
・大正10年5月4日撮影、佐世保工廠入渠時の「霧島」の艦橋背面アップ写真。
 (海人社「世界の艦船2002年11月号(通巻第603号)129ページ)
・昭和3年撮影、伊豆大島沖で射撃訓練中の「山城」後檣を艦尾上甲板から見上げた写真。
 (上掲「写真/日本の軍艦 戦艦?」178ページ)

以上四葉の内、前三者は大正期の戦艦群の艦橋を鮮明に捉えた数少ない写真で、大変参考になります。特に「霧島」の写真は、艦橋床下の伝声管の配管から高角砲の俯仰用ギアまで判別できる、(撮影時期を考えれば)奇跡的なまでに鮮明な写真で、艦橋設備の状況も長門型の竣工と同時期である大正9年に近代化改装(軍縮時代の改装より小規模なもの)を終えたばかりであり、この時期の主力艦を研究する上でこの上ない資料となります。特に金剛型に絞って調べたい時は、学研・歴史群像シリーズ「日本の戦艦パーフェクトガイド」172ページからの「戦艦『金剛』の前部艦橋の変遷」も読んでおくとより理解が深まります。余談ですがw
また、最後の「山城」の写真も露天の後部艦橋を写しており、そこそこの参考にはなります。ただし、昭和2年に改装工事を受けており大正期とは艦容が異なるので注意が必要です。(後部艦橋にどれほどの変化があったかが分からないんですが)

さて、またしても資料の紹介が長くなりましたが、ちょっくら上掲図の詳説をば。
先ず航海装置についてですが、操舵関連設備は通例どおり装甲司令塔内にあるので露天艦橋には最低限の情報表示装置のみ配してあります。羅針盤は時代を問わずお約束(現用艦でも航海艦橋にある)なので良いとして、その後ろに並んだ速度通信器ってのはいわゆるテレグラフです。これはセルシンモーターを用いた角度式通信器で、速力・軸出力・舵角など航行時の情報を視覚的に表示します。なので、ひょっとしたら速力、右外軸・右内軸・左内軸・左外軸各出力、右舵角、左舵角と七機くらいあったかも知れません。こればかりは見た事がなく判然としないので、模型のサイズを考えて三?四機が適当と判断しました。
ちなみに明治期の代表的戦艦「三笠」では、航海艦橋・装甲司令塔共に三機が配してありました。どれが何を表示しているのかは不明。
↓これは護衛艦「たかなみ」の艦橋ウィングにある現代の速度通信器。デジタル表示で大変見やすくなっております。参考までに。
海自の速度通信器
▼続きを読む

続いて羅針艦橋後部の伝声管群ですが、これは前掲の「霧島」の写真で確認したもので3,4本の伝声管が集中しています。伝令の待機場所か何かでしょうか。
最後に測距儀について。
測距所にあるのは長門型で有名な10m測距儀です。説明不要ですねw
羅針艦橋前端、正確には装甲司令塔天蓋にある測距儀は副砲用4.5m測距儀で、10m測距儀が破損した場合には主砲用を代替します。その場合、または左右両舷に副砲群を指向する場合に用いるのが艦橋両舷の3.5m測距儀です。この内、年代で考えると4.5m測距儀は架空兵器扱いになります。当時は3.5mのものが使われていました。
二つの測的用測距儀の間にある小さいものは、航海用の1.5m測距儀です。

取り敢えずはこんなところでしょうか。
この他、檣楼司令所直上の射撃指揮所の解説も残っているんですが、こちらは写真解析の結果、またしても形状変更を迫られたので改設計中です。こんな事してるから作業が進まないんだよなぁw
まぁなんだ、前に3DCGシリーズの長門型イイヨって言ってたけど、射撃指揮所の構造だけは要注意です。あの本だとエンクローズドされてたけど、写真を見るにどうもブルワーク付きの露天っぽい。天蓋は固定じゃなくて、恐らくキャンバス張ってるだけです。


毎回思うんですが、これって艦船模型カテゴリなのか軍事小話カテゴリなのか判断に迷います。複数のカテゴリに跨がせるようにできないのかFC2は。

 <ブログ拍手コメ返信>
>蒼月さんへ
ありがとうございますー。
あくまで下士官候補生なので艦隊司令は無理っすよw (序列的に)
でも頑張れば護衛艦長クラスには、なれるみたいですね。余ほど頑張ればですがw

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[2007.11.19(Mon) 10:28] 大型軽巡「秋葉」Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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by 蒼月乃光
>あくまで下士官候補生なので艦隊司令は無理っすよw (序列的に
髭のショーフク並に頑張ればOKよ(笑

by 大和甲型
つまりイラクからの撤退作戦を(違

by 蒼月乃光
お『礼』参りも可?(爆

by 大和甲型
どこに突入するというのかwww
半島? まさか半島ですか?(w

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大正時代の艦橋装置 

姿を消して早三日。ちゃんと生きてます。
いや、リアルに死んでたら朝刊一面を飾っちゃうから報告するまでもないんだけどさw

…今、お前なんか一面になんねーよとか思った人は実に冷静な人だ。いつまでもその沈着さを忘れないでいて欲しい。

まぁ、そんな戯言はどうでも良いんですが、先週同様またしてもレポート漬けです。これほどまでに理工系であることを後悔する瞬間もない。


ところで、またしてもツンデレイモウト巡洋戦艦の建造を妨げかねない大問題にぶち当たったんですが、誰か助けて下さい。
先日の製作記で、艦橋については後は細部をディティールアップすれば良いだけとか言っといて、艦橋の細部が分かりません。

大正時代の戦艦の艦橋、特に羅針艦橋とか檣楼司令所ってどうなってんですかね。
写真や資料など漁ってみて、羅針盤、テレグラフ、伝声管、航海用小型測距儀、海図台までは何とか見当がついたんですが、その他、改装後にはよく見られる探照燈管制器、見張り方向盤、見張り用双眼鏡、天測用羅針儀などは竣工時から搭載されていたものなのかどうか。まぁ天測羅針儀くらいは航海用具としてあったろうと思うんですが、ではその数は? どこらへんに?
写真を幾ら見てもこの辺が分からないです。つーか、写真自体が少ないですw
たぶん、探照燈管制器とか見張り方向盤は改装後なんじゃないかと思うんですが、問題は双眼鏡です。改装後には防空指揮所や各見張り所にずらり並んでる印象の強い本装備。しかしながら、大正時代に防空指揮所や見張り所はなく(見張りはしてたでしょうけど、それ専用のスペースが見当たらない)、そもそも艦載用大型双眼鏡の国産は大正十五年(昭和元年)からなので、輸入品を装備していたのか、もしくは見張り員が東郷長官よろしく小型双眼鏡を携行していたのか。
分からないことだらけです。
でも、この時代の戦艦ってこういう小物を無視すると、艦橋が本当にスカスカになっちゃうんですよね。うーむ。
どなたか資料お持ちの方、または良い資料をご存知の方、ご一報頂けると嬉しいです。

…不二美術の図面集って竣工時もちゃんと載ってんのかなぁ。
▼続きを読む

(2007.10/25 0646追記)
レポート途中で寝落ちしちゃったけど、先週より更に酷い状態なのでほぼ諦めモードです。いや、ほら、先週はまだ八割方できてたから頑張れば間に合うぞってレベルだったんですが、今週はまだ三割くらいしかorz
いい加減、零時以降も起きてろよと。徹夜耐性なさすぎw

途中で提出より、仕上げてから遅れて出す方が減点少なそうなので、その線で行こうかなぁ。もうダメポ。

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[2007.10.24(Wed) 23:59] 大型軽巡「秋葉」Trackback(0) | Comments(2) 見る▼
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by 蒼月乃光
あまりこだわり過ぎちゃうと完成しなくなっちゃうよ
ある程度妥協せんとな~(苦笑

by 大和甲型
むぅ、矢張りそう思いますか。
未完になるくらいならデッチアップするかなぁw

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大正期戦艦の檣楼の組み方 

さて、予定より遅れましたが大型軽巡洋艦「秋葉」建造記の続きです。
と言っても、今回は秋葉型を例として前檣楼の製作過程を紹介しようかと思います。作例は架空艦ですが、その他の大正期の戦艦を製作する際にも役立つんじゃないかと。

先ずは切り出し
先ずは各艦橋甲板を切り出します。こればかりは戦艦ごとに形状が違うので各自でお調べ下さいw (今回は架空艦なので長門型を参考にしつつ、独自にアレンジしています)
しかし、残念ながらメジャーな二次大戦時のものと違い、大正期の戦艦はあまり図面が出回っていません。最も手軽に手に入るのはモデルアート増刊「艦船模型スペシャル」の各戦艦特集(ようやく扶桑型も発売されて戦間期の十戦艦が揃いました)ですが、あまり正確でない部分も見受けられますので信用しすぎるのは危険です。参考程度ってことで。
 各戦艦の既刊リスト
金剛型巡洋戦艦 モデルアート2005年3月号臨時増刊通巻677集 No.15
扶桑型戦艦 2007 SUMMER No.24 (なんか表記形式が変わったっぽい)
伊勢型戦艦 モデルアート2002年12月号臨時増刊通巻623集 No.6
長門型戦艦 モデルアート2002年6月号臨時増刊通巻611集 No.4

さて、艦船模型SPの信用ならん部分をどう補えば良いかって点ですが、これはもう各々写真を舐め回すように見て確認するしかありません。これがまた辛い作業で、艦艇写真集などを買ってもマイノリチーな大正戦艦は小さい写真だったりそもそも載ってなかったりします。しかも、当時は二次大戦時と違い飛行機からの写真撮影など滅多に行われないので、詰まるところ横もしくは斜め下からの写真しかなく、平面形状の把握はかなり困難です。でもそんなの関係ね(ry
写真資料に関しては、
世界の艦船1977年8月号増刊「写真集日本軍艦史2.大正編」(第244号 増刊第4集)
光人社 写真/日本の戦艦第1巻 戦艦?(大和型、長門型、伊勢型、扶桑型)
が大変参考になりました。光人社の艦艇写真集に関しては、同じ収録内容で廉価なハンディ判も出てますが、サイズが小さくて見難いので資料としてはお勧めできません。

今回、「秋葉」製作に関しては長門型戦艦に範をとりましたが、長門型の写真を四六時中眺めた結果、双葉社の超精密3DCGシリーズ24「戦艦長門」に収録の長門型竣工時は、それなりによく再現されているように思いました。一部写真の印象と違う部分もありますが、複数の写真集を買い揃えるのが金銭的に辛い場合は、これ一冊持っておけば大丈夫かと。

さて、ここでようやく模型の話。
各艦橋甲板の平面形状が把握できたならば、それを方眼紙などに製図し実際にプラ板を切り出します。切り出し方は様々ですが、私が多用しているのは以下の方法です。
先ず、製図したものをコピーし、0.5mmプラ板(これ以上だと厚すぎますし、これ以下だと強度的に不安なので)に木工ボンドで貼り付けます。厚塗りすると紙がふやけますので、水で薄めるなどして調整して下さい。
ボンドが乾燥したら鋏、デザインナイフ、ヤスリ等をを駆使して図の通りに整形します。
最期に紙を剥がします。プラ板+木工ボンドは適度に食いつきが悪いので、ぺりぺりと綺麗に剥がれてくれます。もし綺麗に剥がれなくても紙ヤスリで修正できますしw
この時はまだ支柱用の穴は開けてませんが、中心線を出す意味も込めて主柱用の穴は開けておきます。図面段階で描き込んでおきましょう。支柱の位置も、把握できているならマーキングしておくと良いでしょう。

主柱のみで仮組み
次に、実際に主柱を通して立てて見ます。
この時、各艦橋甲板の中心線が揃っているか、イメージ通りのシルエットになっているか等を確認します。気付いた点があれば、早め早めに修正します。
今回、主柱は1.5mm真鍮線を使用しました。ここは実在した艦でも、多少太めにデフォルメして存在感を出してた方が良いと思います。忠実にするなら1.3?1.4mmくらいが適当なようです。
また、改装後の姿とは違い艦橋構造が檣によってのみ維持されているので、強度を考えるとプラ棒より真鍮線が良いです。しかし、接着強度(瞬間接着剤では簡単に剥がれてしまって、これはこれで宜しくない)を考えるとプラ棒の方が良かったりもしますし、悩みどころではありますねw
もし外径1.5mm/内径1mm程度のプラパイプに1mm真鍮線を通したものがあれば、強度的に最も理想的な素材となるでしょうけど、そんな都合の良いプラパイプはないので、今回は主柱を真鍮線、支柱をプラ棒にして対処しています。
▼続きを読む

真鍮線で調節しつつ支柱を組みます
全体のバランスを確認したら、いよいよ支柱用の穴を開けていきます。
今回、支柱には1mmプラ棒を使用しましたが、最初から1mm穴を開けるとほぼ確実に失敗します。絶対の自信がない限り避けた方が無難です。
さて、では手順ですが、先ずは図面・写真などで確認して支柱の下端と上端の位置を決めます。
次に、実際に外側からプラ棒を当てながら、正面、真横から見て上端と下端を結んだ一直線上になるように各艦橋甲板に穴の位置をマーキングしていきます。これは極細の油性ペンが適当かと思います。
位置を確認したら、最初は0.3mmの穴を所定の位置に開け、0.25?0.3mmの真鍮線を通します。正面・真横から見て、真鍮線に無理な力が掛かって歪んでいないか、また真上から見て全ての艦橋甲板が平行にならんでいるか、傾いていないか等を確認します。
もし歪んでいたら、0.3mmプラ棒で穴を一旦埋め、適切な位置に開けなおします。この時点であれば幾らでも修正できますので、位置決めを完璧にして下さい。

仮組
位置決めができたら0.5mm、0.7mm、1mmと徐々に穴を大きくしていきます。
焦って最初から1mmの穴を開けようとすると中心点がずれる事があるので、焦らず確実に実施しましょう。
全ての穴が開いたら、実際に支柱を通して見ます。
つっても、この時点で歪みを発見しても微調整程度しか修正できないので確認の要もないんですがw
だから前項で完璧に位置決めしておく必要がある訳ですね。

ただ、人間の目では流石に0.1mm以下の誤差は生じてしまいますので、どうしても左右の対象は崩れてしまいます。なので、位置決めしたら表裏確認用に油性ペンでマーキングしておくと良いでしょう。
仮組が完璧でも、甲板を一枚だけ裏にして組んだだけで全体が歪んだりしてしまいますので、この点は結構重要だったりしますw

位置決めして調整完了!
最後に各艦橋甲板の高さを調整して基本形は完成です。
今回は次のような間隔にしました。
方位盤
2mm
射撃指揮所
3mm
檣楼司令所
4mm
測距所
5mm
上部探照所
3mm
下部探照所
4mm
羅針艦橋
6mm
艦橋基部

ご覧の通り、各艦橋甲板は等間隔ではありません。各戦艦によって違うので写真から読み取るしかないです。(前述の通り、今回は長門型を参考にしています。ただし、長門型はこれに中部探照所と砲戦指揮所が追加されます。また、長門型の支柱は六本です。)
ちなみに頂上の方位盤についてですが、竣工時の長門型は一三式方位盤照準装置が積まれていましたので、サイズや観測窓の位置が似ている九一式高射装置(ピットロード装備セット?)から改造しました。天蓋を平らにしてやれば、雰囲気は再現できます。
また、方位盤台座、支柱集束帯の円錐台は、コトブキヤのバーニアセットからの改造です。

この後、各所に手摺やブルワーク、また探照燈や測距儀を設置してディティールアップしていきます。
主柱への接着は全ての工作が終わってからの方が良いです。

並べて見ると矢張りデカいなぁw>秋葉
折角なので、仮組状態の長門さんとツーショットw
長門さんは第二次改装で艦尾延長してるってのに、秋葉(つーかフッド)長ぇええええ!
(ちなみに長門さんは撮影用に仮組しただけで、当分建造予定はありませんw)

さて、では前檣の細部を作りつつ、そろそろ後檣のデザインも考えますか。って言うか、まだ考えてなかったのかYO!



ところで前回の更新
から一週間も経ってるのに全然作業進んでねぇじゃん、とか言われそうですが忙しかっただけです。決して浮気などしていません。

思いっきり脱線w
…あれ、何だこれ。

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[2007.10.21(Sun) 23:59] 大型軽巡「秋葉」Trackback(0) | Comments(3) 見る▼
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by 神凪さん
お久しぶりデス。
遂にツンデレ(ry 再始動ですね~。
艦橋の支柱は日本戦艦を製作(特にスクラッチする際)の悩みの種ですので参考になります。
・・・何だかタイガーを思い出すなぁ(ぇ
先は長そうですが完成させるべく頑張ってくださいね。
楽しみに完成をお待ちしておりますw

by 蒼月乃光
秋葉、進みましたね
うちは今のところ一本マストばかり建造してますよ
安芸とこ生駒とか…
強度不足で何回引っ掛けて壊した事かorz

>装甲車
この前買った露助のかな?

by 大和甲型
 神霧さんへ
お久しぶりです~。
この前、メッセで口が滑ってしまったもんだから、とうとう再始動ですよw (嫌々ということはない
檣楼の組み方に関しては、以前「伊勢(竣工時)」で手酷い目に遭いましたので、その経験から面倒でも確実に組める方法を採りました。参考になれば幸いですw

>・・・何だかタイガーを思い出すなぁ(ぇ
この時代の日英戦艦は多脚檣が主流でしたからね。元を辿れば秋葉型も英国に範をとってますしw

今回は何とか建造停滞にならないよう頑張ろうと思います。先が長くなるとダレルので、なるべく早期に完成させたいものですがw
「秋葉」が完成したら、次は神霧さんの番ですZE!w


 蒼月さんへ
今のところ順調に…と思いきや、またちょっと躓いていたりw いや、大した問題じゃないんですが。
一脚檣は作るのは楽ですが、強度は持たせるのが確かに難しそうですね。艦船史上でもそれが理由で多脚化に向かいましたし。
三脚檣は支柱も含め金属線で組めば、模型でも驚くべき強度を実感できますよ。現に、「伊勢」の艦橋はデコピンしたって壊れませんでしたw (まぁ夏の猛暑で甲板が崩壊したけど
と言う訳で、蒼月さんも多脚檣の世界にうぇるかむ。手始めに巡洋戦艦「伊吹」を(ry

>この前買った露助のかな?
そですー。>BA-20
何故かドイツ海軍陸戦隊に鹵獲されてますが。

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「秋葉」艦橋がとうとう建ったよー 

艦船模型カテゴリは十三ヶ月以上ぶりの更新となります。ひどい話だ。
さて、先週末から作業を再開いたしましたツンデレイモウト巡洋戦艦ですが、何とか前檣支柱の位置決めが終わり仮組状態ながら実際に立たせられるまでになりました。
バランス悪いw
散々悩んだ結果、デザインは同世代の長門型戦艦を基準にしつつ小型化、五脚七層檣楼という形に落ち着きました。なんで小型化したのかは機会があれば詳述します。
水平面の位置合わせが成ったので、次は垂直面、つまり高さの調整に入ります。とは言っても、支柱が貫通している下層は既に固定されているので、主に測距所以上の話ですがw
支柱の位置合わせが終わったら、一旦バラして各所のディティールアップに入ります。

艦橋製作の過程については、大正期の戦艦を作る際に参考になると思いますので、次回で一から詳述しようと思います。
取り敢えず今日は時間がないのでこの辺でw
[2007.10.16(Tue) 23:59] 大型軽巡「秋葉」Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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by 蒼月乃光
お、久しぶりに秋葉の名が(笑
製作記事を楽しみにしてますよ~

by 大和甲型
大変久しぶりに製作記更新ですw
今度こそ完成させたいと思います、はい。

こんばんは by らびQ
支柱のバランス取りが大変ですね^^
苦労して完成すると喜びが大ですね^^/
これからもよろしく^^。

こんにちはー by 大和甲型
大正期の戦艦、特に檣楼式の八八艦隊世代では大変面倒臭い部分ですが、その存在感は格別のものがありますからね。
模型的にも防雷網展長ブームと並んで大きな目玉ですw
こちらこそ、宜しく願います。

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大型軽巡洋艦「秋葉」 

2006年09月09日 ()
ちょっと初心に戻って巡洋戦艦「秋葉」を描いてみる。
いつもキャラ絵ばかり描いてる私ですが、そもそも絵を描き始めた理由って戦記漫画を描いてみたいなと思ったのが大きいんですよね。このブログに初めてイラスト載せた時も、「これから(恐らく艦艇メインですが)ちょくちょくCGも描いていきたいな」とか書いてた訳で、その意味では恐ろしく方向性を違えてしまっている現状ではありますが、まぁそこら辺はドソマイです(ぇー
観測気球が良い感じw
和製大型軽巡こと巡洋戦艦「秋葉」。またの名をツンデレイモウト巡洋戦艦w
安かったため勢いで三隻も買ってしまった英巡戦「フッド」の模型を処理するために考え出した架空戦艦である訳ですが、結局、半年経っても完成しませんでしたorz
性能要目は↓こんな感じ。
常備排水量:約43000t  全長×幅:260m×32m(誤差±2m)
出力:140000hp 速力:31kt
主砲:47口径48cm砲 単装四基
副砲:50口径14cm砲 単装二十基
その他:40口径8cm高角砲 単装八基
    53cm水上発射管 連装四基
搭載機:観測気球 一機

本艦の最大の特徴は何と言ってもその主砲、単装四基の48cm砲です。
詳しい運用構想に関しては戦闘詳報(旧日記)の二月六日の書き込みをご覧下さい。今にしてみれば修正すべき点も多々ありますが、基本的には英巡戦「フューリアス」の焼き直しである事は変わりありません。
▼続きを読む

設定としては、独マッケンゼン級巡洋戦艦の建造中止が遅れた事でフッド級巡戦の建造も計画通り続行され、「フッド」「ロドネー」が進水した時点で一次大戦が終結して建造中止。やる気の失せた英海軍は建造途中の二番艦「ロドネー」を日本海軍に売却し、日本海軍は試作中の48cm砲を搭載して大型軽巡として建造を再開した、と言う事になっています。先ず架空艦ありきでやってますので色々と無理のある設定ではありますがw
ちなみに略歴↓
1916.10/9:英国フェアフィールド造船所にて起工。
1919.1/26:進水。「ロドネー」と命名。
1919.2/1:建造保留。
1919.3/2:日本海軍から購入の打診。
1919.3/9:売却交渉開始。
1919.6/28:ヴェルサイユ条約締結。
1919.7/5:正式に建造中止を下令。
1919.12/16:日本海軍へ売却。
1920.4/7:ベルファウスト出港。
1920.10/19:柱島入泊。呉工廠に入渠。
1920.10/26:建造再開。
1921.11/11:ワシントン会議開催。
1922.2/5:建造中止。
1922.2/6:ワシントン海軍軍縮条約締結。
1922.7/10:海軍へ引き渡し。
1923.1/9:モスボール化
1924.12/12:空母への改造工事着手。
1927.4/10:進水。「秋葉」と命名。
1930.1/21:ロンドン海軍軍縮会議開催。
1930.2/16:建造中止。
1930.4/22:ロンドン海軍軍縮条約締結。
1930.8/15:除籍、解体。

空母化も含めて二転三転した挙句、建造中止で廃棄処分となる素晴らしいオチw
架空艦で未成艦なので、どんな無茶な艦影になろうとも整合性を持たせる必要がないのが最大の魅力ですw

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[2006.09.09(Sat) 19:56] 大型軽巡「秋葉」Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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