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改金剛型巡洋戦艦「榛名」を妄想してみる 

 金剛型巡戦四隻の建造

 明治39年、列強海軍国の建艦競争は、英国戦艦「ドレッドノート」の登場により、弩級艦時代へと突入した。
 これに先駆け準弩級戦艦「薩摩」を建造していた日本海軍は、さらに砲力を強化した河内型戦艦を建造して、列強の建艦競争に対抗する。また、英弩級巡洋戦艦「インヴィンシブル」建造の報に接するや、予定していた改鞍馬型装甲巡洋艦の建造を延期して、12インチ(30.5cm)砲八門を搭載する弩級巡洋戦艦の設計に着手した。
 しかし、二万トンを超える大型戦艦の建造経験を持たなかった日本海軍は、技術導入のため英国ヴィッカース社に設計・建造を依頼することにし、検討作業に入った。
 当初、軍令部は主砲に50口径12インチ砲十二門を要求していたが、度重なる討議の結果「50口径12インチ砲十門、6インチ砲十六門」に落ち着き、それを次期巡戦の基本軸として詳細設計が進められる。
余談であるが、この時にヴィッカース社から45口径13.5インチ(34.3cm)砲の売り込みがあった事実も忘れてはならない。時を同じくして、米英では超弩級戦艦(米「テキサス」、英「オライオン」)の建造計画が着々と進められており、超弩級艦時代の到来は自明であったのだ。
 だが、運用上か或いは予算上の問題なのか日本海軍は12インチ砲を採用した。砲配置は、連装砲塔・三連装砲塔各二基を搭載する予定で、これが実現していれば日本海軍初の三連装砲塔搭載艦となっていた筈である。この三連装砲塔は、イタリアの弩級戦艦「ダンテ・アリギエーリ」用に設計されたものを日本海軍向けに改良したものだった。
 この後、一旦は12インチ砲の採用を決定した日本海軍であったが、英海軍が行った大口径砲の試射実験のデータを手に入れた事で、方針の転換が行われた。
 即ち、「45口径14インチ(35.6cm)砲」の採用である。
 この試射実験とは、「50口径12インチ砲」と「45口径13.5インチ砲」との比較公試であったが、その結果は射程、散布界、砲身命数の全ての点に於いて13.5インチ砲が優れていた。つまり、長砲身化よりも大口径化こそが全般的な性能向上に繋がると言う事が判明したのである。(無論、砲熕技術の進歩した今日では其の限りではない)
 これを受けた日本海軍は、どうせ大口径砲を採用するならと13.5インチ砲の上を行く14インチ砲の採用を決定し、ヴィッカース社に設計変更を指示した。
 しかし、当初の砲数(主砲十門)のまま大口径化すると艦型が過大となり、予算に収まらない上に工期も伸びてしまう事は明白である。仕方なく「連装砲塔四基八門」の形に縮小される事となったが、12インチ砲が主力の当時に於いては、未だ英米独の主力艦を凌駕する攻撃力を誇っていた。
 明治43年10月、上記仕様に再設計された最終設計案「472C」が、ヴィッカース社で纏められた。
 こうして建造されたのが、日本海軍初の超弩級巡洋戦艦「金剛」である。

 また、今回のヴィッカース社への発注には技術輸入の意味も込められており、「金剛」一艦のみ英国(ヴィッカース・バロー造船所)で建造し、残りの三艦「比叡」「榛名」「霧島」は日本で建造する事としていた。
 「比叡」は「金剛」より約一年遅れた明治44年末に横須賀海軍工廠にて、「榛名」「霧島」はそれぞれ川崎重工神戸造船所及び三菱重工長崎造船所にて共に翌年3月には起工する事が予定された。民間造船所で戦艦が建造されるのは、日本では「榛名」「霧島」が初である。
 これに備えて、艦政本部と両社の間で数度の交渉・打ち合わせが続けられていた。起工予定の一年前、44年初旬の事だ。
 しかし、日露戦役による財政圧迫と折からの軍縮論に遭遇した海軍は、44年度計画の大幅な削減を迫られていた。
 この時、問題とされたのは「比叡」「榛名」「霧島」の建造予算である。と言うのも、ネームシップの「金剛」こそ1907年度予算と比較的新しく建造を認可されているが、「比叡」の予算は日露戦争臨時軍事費からの抽出であり、「榛名」「霧島」に至っては戦前に認可された第三期軍備拡張計画に基づくものであったからだ。
 日露戦役は終結し、軍備方針も変更された今日、これは議会による軍縮要求の格好の獲物となた。しかし、海軍に言わせて見れば、一旦は認められた権利を手放す道理はなく、また列強の建艦競争に遅れを取る訳にも行かない。
 この対立の末、海軍は何とか「金剛」「比叡」の建造予算だけは、ゴリ押しに近い形で確保したものの、残りの二艦に関しては計画保留の決定が下されている。
 これは、ヴィッカース社との契約上、日英同盟を考慮して「金剛」の建造は認めざるを得ず、運用の都合から「比叡」の建造も認めるが、今は一先ず2隻で我慢してくれまいか、と言う事であった。
 海軍としても、2隻を確保すれば取り敢えず運用に支障はないし、これ以上の議会との対立は避けるべきとの意向から、この提案を了承した。
 こうして、「榛名」「霧島」の二艦については建造計画が凍結される事となったのである。


 改金剛型巡戦の設計

 技術の進歩は日進月歩である。
 それは最先端科学技術の結晶たる戦艦にとって、二重にも三重にも重い言葉であると言えよう。
 時あたかも明治末期、巡洋戦艦の発達著しい時代であり、『今日の新兵器は明日の二線級』とまで言われる技術革新の時代であった。
 こんな折に、新鋭艦二隻の建造延期が何を意味するかは素人目にも明らかである。英独の建艦競争は激しさを増し、タイガー級やデアフリンガー級等の強力な巡戦に加え、アイアン・デューク級、ケーニッヒ級と言った新鋭戦艦の整備も進んでいた為、日本海軍の焦燥は否応にも高まった。
 そこで金剛型を拡大改良して、新たに榛名型巡巡洋戦艦を設計する提案が軍令部からなされた。幸か不幸か建造まで一年余の余裕があり、改設計には十分と言える。
 こうして、原案を復活させた「主砲十門搭載艦」として、改金剛型巡戦の設計作業がスタートした。

 最大の問題は砲配置である。
 先の金剛型巡戦と扶桑型戦艦が14インチ連装砲を採用している事から、生産と運用面の効率化を優先して三連装砲塔は不採用となった。よって、砲塔は連装砲五基となったが、その配置をどうするか、である。
 艦全体の重量配分から言えば、重量物は重心に近い方が安定するが、前後檣の間に砲塔を設置すると爆風問題や射界等で不具合が生じてしまう。かと言って、前後どちらかに一基増設して「三基・二基」の配置とすれば、重量が偏り全体の平衡が崩れるので設計変更が大規模となる。
 だが、最終的に増設する砲塔は従来の三・四番砲塔の中間に配置された。
 射界確保や防御配置の合理化を考慮してのことだ(特に、弾薬庫の集中が防御重量軽減に貢献する点で好まれた。)。これに伴い、従来この位置にあった主機械室を後檣の直下へと移設、缶室の密集する区画で船体を21m延長し、主缶四十基を配置した。この延長作業には、砲塔増設に因って沈下した喫水を補う浮力増大の意味もある。
 また、艦橋構造物等は金剛型に順じており、傍目には単純に主砲塔を増設しただけの艦影となっていた。
 幸い明治45年度予算で巡戦二隻の建造予算が認可されたので、明治45年10月末を起工予定としていよいよ準備が進められた。

 巡洋戦艦「榛名」 竣工時要目
全長:235.6m   全幅:28.0m
基準排水量:27,750t  
缶:混焼缶 40基  機械:蒸気タービン 2組4軸
機関出力:71,000hp 速力:27.5kt

 主砲:45口径35.6cm連装砲  5基
 副砲:50口径15.2cm単装砲 16基
補助砲:40口径 7.6cm単装砲  8基



 大改装後の高速戦艦「榛名」

 ワシントン及びロンドンに於ける軍縮会議の結果、主力艦(戦艦、巡洋戦艦)の保有を制限された日本海軍は各艦に近代化改装を施して戦力の質的向上に努めたが、高速戦闘部隊の主力を成す榛名型巡戦もまた、その対象となっている。
 大規模な改装工事が為されたのは、大正12年と昭和8年の2度であった。

 第一次大改装では、主に防御力の向上が図られている。
 これは、欧州大戦での戦訓(ドッガーバンク海戦、ジュトランド沖海戦等)によるもので、英国式第2世代巡戦(ライオン級、レナウン級等。金剛型も含まれる)の防御力の脆弱性を補完する目的で行われたものであった。
 特に、ジュトランド沖海戦(別称:スカゲラック沖海戦)での英弩級巡戦三隻の轟沈は、その親戚とも言える金剛型を保有する日本海軍にとって非常な衝撃であったに違いない。これに加え、同大戦の結果、砲戦距離が飛躍的に増大した事もあり、水平装甲の格段の強化も求められていた。
 そこで、金剛型・榛名型の各艦には、甲板と舷側装甲帯に防御鋼鈑が増設された。
 また、石炭缶を重油混焼缶へと換装する作業も同時に行われている。この結果、煙突は2本に減少したので、後檣直前の第3煙突を撤去し、余剰スペースに弾着観測用の気球を搭載する事となった。
 艤装関係では、艦橋の檣楼化に加え、方位盤射撃装置が搭載され、それまでの各個照準射撃から全門統制射撃へと射撃システムが更新されている。
 また、副砲指揮所も増設され、戦闘能力の増強が図られた。
 この改装により、攻防力が一段と強化されたが、機関出力の増大は実施されなかった為、速力は26ktに低下してしまい、艦種類別は「巡洋戦艦」から「戦艦」へと変更された。
 この時点で、日本海軍に於ける巡洋戦艦の歴史は終焉したと言って良い。

 第二次大改装では、満州事変の勃発により、日支関係ひいては日米関係の悪化も懸念され、より一層の戦力増強が求められていた。
 また、連合艦隊内での漸減邀撃決戦構想が本格的に検討され始めていた事もこの改装に影響を与えた。
 即ち、水雷夜襲部隊を火力支援する高速戦艦の必要性である。
 ロンドン会議により「金剛代艦」が水泡に帰した現時点で、この任務に耐え得るのは金剛型以外には考えられなかった。第一次改装で戦艦になったとは言え、推進機関の換装など改装の余地は未だに残っており、且つ元来は巡洋戦艦として建造されたスリムな艦型は高速戦艦に都合が良かったのである。
 よって、この改装の主眼は、戦闘能力の向上と速力増大に絞られた。
 この内、機関に関して行われたのが、混焼缶から重油専焼缶への換装と減速タービンの導入である。
 換装の結果、缶は10基まで減少したが、ロ号缶と新型タービンの搭載により、機関出力は帝國海軍最大の17万馬力へと大幅に強化され、更に缶の集中と誘導煙突の併用により、煙突の占める上甲板面積も削減されている。搭載機を気球から水上偵察機に変更したので、このスペースにカタパルトを装備して航空作業甲板とした。
 また、射撃指揮システムも最新のものに更新され、前後檣楼はより複雑化している。
 防御面では、主装甲範囲の増加と弾薬庫、機関部の装甲強化が行われた。
 さらに、浮力増大と水雷防御を目的として、舷側にバルジが設けられ、その中には重油と水密銅管が充填された。
 また、武装強化により低下した速力を補う為と、弾薬庫の装甲強化により沈下した艦尾の浮力を補う為、艦尾が8m延長されている。
 この結果、機関出力強化と相まって、速力は29.5ktまで増大した。
 兵装面では、重量軽減の為に副砲2基が撤去され、また、補助砲は八九式高角砲八門に換装されている。

高速戦艦「榛名」第二次改装後


 高速戦艦「榛名」 第二次改装時要目
全長:243.6m   全幅:31.1m
基準排水量:32,850t  
缶:専焼缶 10基  機械:ギヤード・タービン 4軸
機関出力:170,000hp 速力:29.5kt

 主砲:45口径35.6cm連装砲  5基
 副砲:50口径15.2cm単装砲 14基
高角砲:40口径12.7cm連装砲  4基



 大東亜戦争下の戦艦「榛名」 略年表

S16.12/4?:マレー攻略作戦支援
S16.12/8?:南方作戦支援
S17.3/7:クリスマス島砲撃
S17.3/26?4/18:インド洋作戦(機動部隊支援)「セイロン島沖海戦(4/5?9)」
S17.5/27?6/24:MI作戦(機動部隊支援)「ミッドウェイ海戦(6/5?7)」
S17.9/6?:ソロモン方面作戦支援
S17.1013:ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃
S17.10/26:「南太平洋海戦」(前衛部隊主力)
S18.1/3?2/5:ガダルカナル島撤収作戦支援
S19.6/19?21:「マリアナ沖海戦」(前衛部隊)
S19.10/22?28:捷一号作戦「比島沖海戦(10/23?26)」
S19.11/8?11:オルモック輸送作戦
S20.7/24?28:呉軍港大空襲 大破着底
S20.8/15:終戦


*)本文は架空設定に基づくフィクションであり、実在する国家、組織、企業、艦艇等とは全く関係ありません。

 <あとがき>
半年ほど前に書き記した妄想文に加筆修正を加えてみました。
まぁ単純に、天城ちっくな金剛を思い描いただけなんですがねw
模型も作ろうと図面なんかも用意していたんですが、結局建造されず終いで今後も建造するか微妙なので、認めた架空設定だけ先にうpしました。手抜きじゃないってばw

 参考サイト
近代?現代艦艇要目集さん(スペック参照)
いやぽぽさん(画像拝借)
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[2006.08.04(Fri) 23:56] 架空艦Trackback(0) | Comments(0)
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