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続・伊勢型空母の搭載機 

2006年06月14日 ()
 さてと、昨日はあくまで計画機を主体に話を進めてきたが、冷静かつ博識な読者諸兄はお気づきの事だろう。あのような搭載機が予定されていたとしても、それが実行される事はほぼあり得ないと言う懸念は確かに考えるべき事態だ。
 つまり、「伊勢」が空母としての改造工事を終える昭和十九年夏の時点で、艦上機としての烈風の開発は既に放棄され、流星も実戦投入の目処が立たず、結局は在来機を搭載せざるを得ない状況に陥るだろう事は容易の想像できる。
 では、その場合の搭載機はどうなるだろうか。これについても一考したい。

 先ず搭載機の候補であるが、十九年夏の母艦搭載機となれば、零戦五二型、零戦二一型(戦爆)、九九艦爆、彗星、九七艦攻、天山が挙げられる。ただし九七艦攻は、天山の運用が制限される軽空母に主に搭載されたので、今回は省いて良いだろう。
 では九九艦爆もか、と思われるかも知れないが、こちらは対潜哨戒用として大鳳ら大型空母にも搭載されていたらしいので、伊勢にも搭載される可能性はあったと思う。
 加えて戦爆であるが、これは九七艦攻と同じく軽空母にて彗星の代わりに運用されたものなので除外する、としたいところなんだが、マリアナ戦やレイテ戦に於いて「瑞鶴」に搭載された記録が残っているので、少し判断に迷う。彗星の生産が間に合いませんでした、って事なら話は簡単で大変宜しいのだが、実際のところはどうなんだろうか。ただ、少なくとも「伊勢」には彗星を運用する能力はあるので、主力艦爆を彗星として話を進めても問題ないだろう。

 さて、そうなると搭載機は、零戦五二型、九九艦爆、彗星、天山という事になる。
 これをどのような比率で搭載するか。昨日は搭載する54機は全て十六試以降の新型機という仮定で結論を導いたが、この仮定が正しければ伊勢型空母の艦載機運用能力は、よく比較対象とされる飛鷹型を上回り概ね飛龍型に匹敵する事になる。
 まぁ、飛行甲板長と速力から考えると甚だ胡散臭い話ではあるが、仮にこれが事実であるとすれば彗星、天山らを運用した場合の搭載機数は57機(+補用8機)前後と考えられる。ただし、後期には補用機を積まない傾向があったので、常用60機と言ったところか。
 では先ず、前路哨戒の九九艦爆は3機程度で良いので、残り57機。そして、矢張り戦闘機隊は多めに欲しいところなので、八個中隊として24機。残り33機。
 もし、伊勢型が敵空母への先制攻撃任務に就くものだったならば、索敵・触接用に天山9機、敵空母攻撃用に彗星24機が割り当てられる事になるだろう。もしくは大鳳ら主力空母と隊列を組む予定だったならばどうか。この場合、極端な話だが天山33機(攻撃24、索敵9)と言うのも有り得たかも知れない。
 ただ、史実での伊勢型航空戦艦がそうであったように、結局、これら戦時急造空母(と言うか応急改造空母)は正規攻撃空母群の補助戦力でしかなく、高速艦爆の運用が第一義になるような気がするのである。
よって、零戦五二型24機、九九艦爆3機、彗星24機、天山9機の計60機として、今回は結論したい。

 と、かなり強引な形でまとめてしまったが、実は今日の資料漁り中に既に本論は破綻していた事を白状せねばなるまい。
 と言うのも、今回の考察では、航本が策定した搭載機54機なる要目が、十六試以降の新型艦上機の運用を前提に算出されたものと仮定していた。そして、この仮定の真偽について全く検証せずに論理を展開した結果、この仮定が崩れる事が、同時に結論の破綻をも意味する状態となってしまった。
 で、その仮定が89年のソ連くらいグラグラきてるので、もう観念せざるを得ない。

 ちなみに、仮定を揺るがす原因は何であったのかと言うと、航本の作成した雲龍の搭載機の見積もりである。
 航本が昭和十七年四月に作成した報告書では、三〇二号艦(後の雲龍)は零戦12(補用3)、十六試攻兼爆33の計48機を搭載可能と見積もられていた。伊勢型で想定していた艦戦24、攻兼爆24、計48機と良い勝負である。これに艦偵6機を加えて54機。これで数が合ったので、それ以上の検証をしなかった訳だ。
 だが調べてみると、十九年十月の報告書では、雲龍の搭載機は艦戦18、攻兼爆24、艦偵3の計45機とされている。これはどうしたことか。零戦から烈風へ機種改変したからと言っても、明らかに下方修正されているように見える。この2年半の間に何があったのだろうか。
 もし、伊勢型空母の計画時、つまり十七年夏頃からこの下方修正の兆しがあったとすれば、改造空母の搭載機数に54機などという数字が出てくる訳がない。
 考えられるとすれば、この数字が最新鋭機ではなく、一世代前の彗星、天山の運用を前提に計算されたものではないか、と言うことである。そして、そうであるならば、前述の通り本論の前提は崩れ、結論すらも撤回せねばならないのである。

 要するに、主力艦空母化計画が想起された時期に、雲龍以下新鋭空母の搭載能力がどのように認識されていたかで、この問題は決すると言うことだ。私としては、自分で書いたことでもあるし、上の結論を信じたいが、十七年四月から十九年十月の間に作成された報告書、またはそれに類する何らかの資料を見た事がないため、この判断は読者諸兄にお任せするのが妥当かと思う。まぁ、所詮は初期段階で廃案した計画なので、無理に掘り下げること自体、無謀だったのかも知れないが。

 と言う訳で、何だか締まりのない終わり方になってしまったが、伊勢型空母の搭載機に関する考察は結論を濁して終わらせたいと思う。
 最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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[2006.06.14(Wed) 22:29] 艦艇の話Trackback(0) | Comments(0)
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