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償いということ 

人を殺めた者が、死を以て罪を償う。これには二つのパターンがある。
一つは、自責の念に駆られて自決する者。もう一つは、司法によって極刑に処される者。

前者の場合、一見潔いように見えて、その裏で批判が耐えないのもまた事実だ。何故か。
死とは、ある見方をすれば、現実からの逃避と同義である。自分の犯した罪の重さに耐えられない者が死を選ぶ事は、現世の全ての苦しみから解放される事を意味するからだ。
これには、その罪人にとって現実は死よりも辛いものである、との前提がある。そして、それは逆に言えば、その罪人は、生き恥を晒す事が耐えられない苦痛となるほど、己の罪を深く省みているとも言える。

では、後者はどうか。
後者――死刑囚の多くは、裁判に於いて死刑を受容しない。
敢えて生き恥をかく覚悟があるのか、単に死にたくないのか。
司法に於いて感情論が許されるなら、このような犯罪者はすべからく処刑すべきだろう。生き恥をかく事は、自決する者を取り押さえて生き恥をかく事を強制するから意味がある。自分から、生きて償う等とぬかす奴は多くの場合信用できない。心底反省しているか疑わしい。また、人を殺しておいて自分は死にたくない等は論外である。
だが、日本が法治国家である以上、感情を前面に出して罪人を裁く事は断じて許されない。もうハンムラビ法典の時代ではないのだ。また、先の例――自決する者の心情から言えば、罪人には死よりも辛い現実を味わわせた方が良い場合もある。

さて、皆さんの目には、私は死刑廃止論者に見えるだろうか。
今までの趣旨はこうだ。死は現実逃避と同義だから、死刑にするより生かしておいた方が罪人にとって苦痛である。だから死刑にしない方が良い。
だが、私が言いたいのはそんな事じゃない。
上の“趣旨”は、先にも述べたように「罪人が自分の罪を深く悔いている」という前提があったればこそ活きて来るのであって、そのような気概もなく、ただのうのうと生き延びよう等という奴は死を以て償わせる以外に道はなかろう。
だから、先日の母子殺害事件に関して、一審・二審で無期懲役、最高裁でも死刑判決が出なかった事に、失望とまでは言わないが、疑念を抱かざるを得ない。
マスコミが加害少年の家庭環境の不遇を報道しているが、そんな事が情状酌量の余地となり得るのか。如何なる背景があろうと、強姦殺人に加え年端も行かない子供を殺害した罪が、軽くなる筈はないのだ。
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[2006.06.21(Wed) 19:02] 日記Trackback(0) | Comments(0)
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